業務効率化のための俺のアンガーマネジメント

今日の記事も相変わらず精神論だったりもしますが。
アンガーマネジメントって聞いたことありますか?
怒りをコントロールする技術と言われています。
業務中にはたくさんのイライラすること、ありますよね。
現実的にはいつもニコニコしてられるような仕事ばかりじゃなくて、特に自分の考えでは理解できない同僚、上司、部下はいるもので、そういう人との人間関係でイライラして、業務に手が回らないということが、まあまああると思うんですよ。
過去、私もそういう経験はたくさんありましたが、その時に考えたことを書いてみます。参考になれば幸せです。

怒るという感情

私は過去に部下が怒っている時に「まあまあ」だとか、「怒るな」だとか言ったことがあるのですが、今となってはそれは間違いだったと思っています。
だって、人間だれしも、なにかの感情を思い浮かんじゃうことには抗えないですもん。人間だもの。
ということで、この記事は、基本的に怒りたくない人には全然参考になりません。

荒ぶる自分

では、自分は、怒りに対して、どのように自覚しているかなのですが、私は怒る自分が嫌いです。でも怒りの感情が突然出てくるのでその狭間で苦しむことが多々あります。
その苦しみから逃れるために、怒っているポーズをしていることもありますが、そういうポーズをしている自分も嫌いです。
相手に怒っているのではなく、怒りを覚えた自分にイライラしてる、それを胡麻化そうとしている自分にイライラしているということなのですね。
正直、相手が自分の期待に応えられないようであれば、信頼関係は築くことはできないし、そういう人とはちゃんと付き合う気もないので、イライラしても仕方なくて。
ということは、相手に怒ってるんじゃなくて自分に対する怒りなのかと思っています。

アプローチ

いろいろな手法があると思いますが、自分は、自分を中心とした責任の度合いを整理しています。
怒っているときは、先述の通り、おそらく自分への責めの気持ちが大きくなっています。
しかし、自分の気持ちを優先して考えると、悪いのはそもそも相手であって、自分は正当なことしかしていないことに気付きます。
確かに責任の所在は100%と0%ではないので、いくらか自分にも責任は残りますが、初めに思ってた気持ちほどはないことに気付きます。
そこで、自分に責任がそれほどないのであれば、イライラしなくていいことに気付きます。

そうはいっても

でも、やっぱり本質的にイライラしちゃうことはあるのですよ。
上司に理不尽に無理やり仕事を頼まれたとか。「頼む、佐藤君しか頼れないんだ」とか言われるとイラっとしますね。本当にそう思っていないのは透けて見えちゃうので。
そういうときは怒っていいんじゃないでしょうか。
この例では、怒りは自己防衛の一つです。
自分が不利にならないための戦いの準備です。
だから怒ってもいいのかなって。

絶対に怒る必要のないこと

怒る必要のないことでもかなりイライラしちゃうこともありますよね。
偉い人や、お役所の人、政治家、学校の先生、警察官が不祥事とかモラルのないことをするのって、確かにイラっとします。
でも、それって自分に関係あるのかなってよく思います。
誰かの気持ちに寄り添うことは必要でも、誰かの気持ちを代弁するためにツイッターに書き込むだとか、そういうのって自分も正直やるけども、やって損することばかりで得することがないです。
ということで自分に関係のないところかどうかというのは常に意識しています。
本当にそれが事実なのか自分で確かめることができないことならなおさら。
特に周りで変なことが起きるとイライラしやすい方なので、ここは意識しています。
なら、それで不利を受けた人に寄り添える人間になりたいです。

どうしても怒ってはいけないとき

やっぱり怒りの感情は自然に出てくるので、それは人間として抑えられない時もあると思うんですよ。でも、怒れない時は必ずあります。
そんなときはどうしたらいいか。
耐える必要はないのです。
耐えたら逆に爆発します。
その状況を自分の中で価値のないものにしちゃうんです。
右から聞いて左から抜ける、それやっちゃうと聞いてしまうので、もう完全にシャットアウト。
意識を違うところに持っていきます。
配偶者や恋人、楽しく付き合っている友人、仕事で認めてくれている人、楽しいこと、うれしいことを思い浮かべます。まともに取り合うことはないです。だって、価値がないのですから。
それでもどうしてもその状況を意識してしまうのであれば、背中や足の裏がどうなっているか意識を集中してみましょう。
意外とこれ、効果あります。
あるところで「足の裏集中法」ということで教えてもらって、自分にとって価値ないなって思うことにどうしても集中しちゃうときにやっています。
それをやってると相手に言う必要もないし、やってることで罪を感じる必要もありません。
どう考えたって、自分の自由だし、その考えの責任は他人はとってくれないですもん。

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